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「世界遺産・中尊寺金色堂に行ってきました!限定の御朱印もご紹介!」
こちらをご紹介します。
世界遺産として名高い中尊寺金色堂。
東北地方の歴史と文化を象徴する重要な仏教遺跡です。
1124年に奥州藤原氏の初代・清衡公によって建立されたこの堂。
その豪華な装飾と精巧な工芸技術で知られ、極楽浄土を表現するために金箔がふんだんに使用されています。
しかし、中にはこんなお悩みも。
そこで今回は『中尊寺・金色堂』に焦点を当てました。
開催期間や限定イベント、特別な御朱印など、その魅力を詳しく調査。
ということで「世界遺産・中尊寺金色堂に行ってきました!限定の御朱印もご紹介!」
こちらのタイトルで情報を紹介していきます。
平成23年(2011)に世界遺産に登録された中尊寺。
中は
に分かれています。
1つずつ詳しく見ていきましょう。
中尊寺は、嘉祥3年(850年)に比叡山延暦寺の高僧である慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)によって開かれたお寺です。
その後、12世紀初めに奥州藤原氏の初代、清衡公によって大規模な堂塔の造営が行われました。
清衡公は、東北地方で続いた戦乱で亡くなったすべての霊を慰め、東北地方に平和な仏教の理想社会を築くことを願って中尊寺を建てたのです。
清衡公は、1105年から中尊寺の造立に着手し、釈迦如来と多宝如来を安置する堂塔を建立しました。
これは『法華経』の教えを具現化したものでもありました。
清衡公は法華経に深く帰依し、その平等思想に基づいて平泉に仏国土を築こうとします。
平泉は約100年にわたって繁栄し、戦争のない「平泉の世紀」を築きましたが、奥州藤原氏は1189年に滅亡。
その後、中尊寺は次第に衰退し、1337年の火災で多くの堂塔や宝物を失いました。
しかし、金色堂など多くの文化遺産が良好に保存され、東日本の平安仏教美術の宝庫とされています。
平成23年(2011年)には、中尊寺を含む「平泉の文化遺産」が世界文化遺産に登録されました。
中尊寺金色堂は、平安時代末期の仏教美術の傑作として知られています。
清衡公が建立したこの堂。
戦乱で亡くなった多くの人々の霊を慰め、東北地方に平和をもたらすための祈りの象徴として位置づけられました。
金色堂はその名の通り、内外ともに金箔で覆われており、螺鈿細工や象牙、宝石で装飾された内陣は、当時の最高峰の技術を駆使して作られたものです。
堂内には阿弥陀如来像を中心に、清衡公をはじめとする藤原氏の歴代当主の遺体が安置されています。
金色堂の建立900周年を迎える令和6年(2024年)には、特別な御朱印が。
この御朱印は、金色堂の荘厳さを反映したデザインで、訪れた記念としても非常に貴重なものです。
中尊寺にはその他にも見どころがたくさん。
春には桜が、秋には紅葉が境内を彩り、四季折々の風景も楽しめるのが魅力です。
一つずつ詳しく見ていきましょう。
1885年の改築で、本尊である薬師如来と、その両脇に日光・月光菩薩、そして十二神将が安置されました。
また、和歌山県の熊野から飛んできたと伝えられる熊野権現(くまのごんげん)の御神体も一緒に祀られています。
毎年1月4日には、中尊寺の全ての僧侶が集まり、修正会(しゅしょうえ)という行事が行われるんですよ。
本堂の近くにある不動堂は、昭和52年に建てられた祈祷堂です。
ここに安置されている御本尊の不動明王様は、1684年に仙台藩主の伊達綱村公が、天下泰平を祈願して新たに作らせたものです。
不動明王様は、邪悪なものを打ち破り、私たちの過ちを正してくれる仏様で、少し厳しいお顔をされています。
この不動堂では、家内安全、病気の回復、受験の合格、交通安全など、皆様の願い事に応じた御祈祷が行われています。
現在でも、多くの信者さんが訪れ、一年を通して御祈祷が絶えない場所となっています。
この堂はもともと境内の別の場所に建っていましたが、度重なる野火に見舞われ、1689年に現在の場所に移されました。
現在、讃衡蔵に安置されている丈六の薬師如来は、もともとこの堂の本尊でした。
また、この堂の右側に建っている石造りの宝塔は12世紀のもので、重要文化財に指定されています。
ここの授与所では、ペットのお守りも授与することができます。
元禄2年(1689年)、松尾芭蕉は門人の曽良とともに「奥の細道」の旅に出ました。
芭蕉は46歳、曽良は41歳の春のことです。
江戸を出発してから44日後の5月13日、二人は平泉に到着しました。
まず義経公がかつて住んでいたと伝えられる高館の丘陵に登り、そこから北上川と衣川が悠々と流れる景色を見渡しました。
しかし、かつての栄華は失われ、田野が広がるばかりの風景。
芭蕉は感慨深く、杜甫の句を思い出しながら「夏草や 兵どもが 夢の跡」という句を詠みました。
続いて芭蕉は、中尊寺を訪れ、以前から聞いていた金色堂に参拝しました。
金色堂は、鎌倉時代の北条氏によって建てられた覆堂の中にあり、朽ち果てつつもわずかに光を放っていました。
その光に触発され、芭蕉は「五月雨の 降り残してや 光堂」という句を詠みました。
芭蕉が金色堂を「光堂」と称したのは、仏と人々をつなぐ光と、その光の彼方にある歴史の盛衰を見つめていたからでしょう。
珍しかったので撮ってきました(笑)
赤ではないポストが見れるのも、中尊寺ならではです。
「世界遺産・中尊寺金色堂に行ってきました!限定の御朱印もご紹介!」
こちらをご紹介しました。
中尊寺金色堂は、その壮麗な建築と深い歴史背景から、日本の仏教文化を理解する上で欠かせない存在です。
また、限定の御朱印は訪問の記念としても特別な意味を持ちます。
令和6年の900周年記念イベントに向けて、ますます注目が集まる中尊寺。
ぜひ、歴史と美術に触れる貴重な体験をしに訪れてみてはいかがでしょうか?
四季折々の美しい景観とともに、心安らぐひとときを過ごすことができることでしょう。
ということで「世界遺産・中尊寺金色堂に行ってきました!限定の御朱印もご紹介!」
最後までご覧いただきありがとうございました。